私は無知な経営者の典型だった

私は、大きな失敗をした事があります。
それは、現在の会社を南青山に設立した直後から始まります。

 

私が社会へのスタートを切ったのは、衆議院議員の秘書という仕事でした。私はそれをきっかけに、政治の世界を全速力で走っていきました。恩師の代議士をはじめとする数多くの議員の選挙も、その数さえ忘れる位経験を致しました。政治を動かしている大物代議士たちのリアルな姿や言動を日々身近に実感出来たことは、現在の私の仕事にとって、かけがえのない大きな財産となっています。

 

私は代議士の出身である鳥取に縁あって移りました。東京の下町で育った私にとって、まるで旅にでも出かけるように山陰の地に行ったのです。そこで恩師の地元秘書であった元パートナーの彼と出会います。

 

その元パートナーの彼が選挙に出馬し、私はその選挙資金を作るために鳥取の地で起業しました。これが私のはじめての有限会社の設立です。選挙に明け暮れる中での会社経営でしたが、社員を数人置き、人脈を頼りに順調な事業を進めていました。

 

その後、発展的に結婚を解消した直後に、ある税理士を紹介されます。その税理士から東京に化粧品販売会社設立の提案を受けました。東京に自分の居場所を持っていたい、人生の次のステージを作って行きたい、という強い思いから私は即座にこの話に飛びつきました。

 

後から思えば、市場のリサーチ、ターゲティング等々の所謂マーケティングのかけらもない、無謀なと言うより、無知そのもののスタートでした。その税理士は建設関連の専門ではありましたが、美容は勿論、小売業界には全く素人だったのです。

 

当時の私は、コンサルタントもしていたこの顧問税理士にすべて丸投げをしていました。自ら考え決断していくという、経営者としての責任をサボっていたのです。恥ずかしい限りですが、私は無知な経営者の典型でした。

 

そしてそのリスクはすべて自分自身に返ってきました。当然ですね。経営の責任は、たとえ誰のアドバイスを受けようとも、結局は経営者自身が全責任を背負うことなのですから。

 

準備した多額な資金は、あっという間に底を突きました。果ては鳥取の会社の利益も、そして私自身の財産も投入するという最悪の事態になっていきました。ひとつだけ救われたのは、新しい会社には負債がなく損失も出ていなかったことです。

 

優秀な老舗の製造元で作られた商品が、他社に勝るとも劣らない優れたものであるという自信は誰よりも強くありました。その自信満々で作成した私としては、多額なお金をかけたセンスの良いはずのパンフレット。「美しさ。それは生き方そのもの・・・」このキャッチフレーズの言葉は、いまでもとっても好きですが。でも、意味不明ですよね(苦笑)

 

誰に向けたメッセージなのかさっぱりわかりません。「だから、なに?」といわれそうですね。自己満足の何者でもないからです。それでも素晴らしい商品なんだから、必ず売れるはず、と信じて疑わなかった。経営者が陥る罠に、私も見事に嵌ってしまったのです。

 

その税理士の言われるままに、またまた人脈を頼りに関東、四国と走り回りました。今でも彼の言った言葉を覚えています。
「新規開拓は社長自ら営業するもの、深夜バスに乗ってでも全国行脚するくらいの根性が必要です。そして掛かってこない電話を前にじっと耐え続ける覚悟がいるのです
今思えば、苦笑してしまう言葉ですが。

 

勿論、中小の経営者は自らが新規開拓するのは必然です。しかし、戦略のない、ただ走り回りお願いして回る営業が、この競争の激しいビジネス世界の中で戦いに勝てるなんて事を本気で考えているとしたら、それは愚の骨頂である事ぐらいいまなら簡単にわかります。でも当時の私はわからなかった、それくらい無知であったのです。結果はいつも空振り、当たり前のことなのです。

 

プライベートブランドとして作った高額な商品は、世間からは何の認知もされていないただのボトル。莫大なCMを駆使して市場に躍り出てくる他社商品と戦えるはずなどなかったのです。

 

そして売り込みに奔走する経営者の私は、相手にはどこの馬の骨かわからない、溢れる砂のひと粒に過ぎません。紹介を受けて尋ねた企業先で、剣もほろろにあしらわれた時の悔しさを今も忘れません。時には無視されることもありました。

 

「事業を甘く見るな」とは私への言葉だったのです。それまで「世の中に怖いものなどないわ」と豪語していた私が、人生で初めて味わった挫折感でした。結局その税理士とは決別するのですが。

 

女性経営者の皆様、無知ほど怖いものはないのです。

 

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小渕良子です

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